表題の通りの思い出です。下記はボランティアに至るまでの前段が超長いので要注意です。
それまでボランティアなんかにはまるで一切の全く興味がなく。でも学生時代に阪神大震災が起こり、同じ研究室の人の実家も色々と被害にあったのでした。
その頃私は家庭教師のアルバイトをしていて。近所のデパートとかスーパーマーケットの張り紙コーナーに中学生の家庭教師受け持ちます、と電話番号も書いて。
そして2件のお宅の中学生を教えていたのでした。
アルバイトは大学1年の頃渋谷の道玄坂の超高級焼肉屋で経験があるのですが。その時はデシャップ(dish-up)という担当をしていました。
ホールと厨房の間の役割です。ホールからの注文を厨房に通して付随するタレやスプーン、箸などの準備。
厨房から料理が出来上がると準備していた品とホールへのコール、などをやっていました。
またドリンク類は一人で担当していました。生ビール、サワーなど各種ドリンクの作成です。
時給は確か1200円。夜10時〜朝5時まで。ヘルプが入った時は夕方5時から朝まで。交通費支給賄い有りなので結構稼げました。
賄いもさすが超高級焼肉屋だけあって超激的に美味く。切れっ端とか余った所使ってるんだけどマジ美味くて。
その焼肉屋の肉は生肉はどれも生でも食べれるぐらいの品質。確か特上カルビ1人前7枚で3000円ぐらい。
渋谷円山町が近いという立地、客層柄、残していく人が多かったのでバイト軍団は残された生肉をつまみ食いしまくりでした。
芸能人も多数訪れる高級店でした。(誰が来たかは秘匿)
で、家庭教師ですが、自宅界隈で原チャリで行ける程の距離。中学3年生の男子二人。
でもその二人に共通していたのが…。中学3年の時点で絶望的に成績が低いということ…。
例えば、中3で英語の小文字のbとdの区別が付かないような感じ…。
ちなみに時給は3000円!
受験日から教科書の達成度合いを逆算して週〇〇時間〇〇ページの割合でやらないと間に合わないですよ!とお母様に。
宿題を一杯出しますがどちらの子も全然やってくれない!
結局付きっきりで教えまくり。
なので最盛期は1日12時間教えていました。1日で36000円!
それを週に何日も!メチャメチャ稼げる!けど合格させないといけないプレッシャー!
てなことをやっていたら。その片方のお母様が看護師をしていて。
阪神大震災が起きた後、その看護師のボランティアネットワークで。震災地区の病院などで洗濯機が壊れて不足で至急欲しいと。
で、地元のその地域で要らない洗濯機を集めたらすぐに集まって。でも送る手段が無いという話を聞いて。
ということで私、行きますよと伝えたら、地元の人がワゴンを貸してくれて。
それで運転して神戸に行くことになりました。友達のtjmtkと二人で。洗濯機を満載したワゴンで。
神奈川から神戸へ。交代で運転しながら。
下記の写真は私が助手席にいた時に撮った写真です。その頃は写真に凝っていたので。
で、震災地区に入ろうとすると警察の検問で。
でも事情を説明して荷物の洗濯機の山を見せると通してくれました。
で、震災地区の病院に近づいてきて…。すさまじい有様で爆撃直後かと見紛うばかりの荒れた町並みで。
で、写真を撮ろうと思ったのですが、撮れない!
結局一枚も撮れませんでした。
で、病院について洗濯機を運び出して。その次の病院にも洗濯機を運び込んで。
そして自宅に帰りました。
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