読書:22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる 成田 悠輔 著
https://amzn.to/3OOYLC8
下記はKindleで読みながら制限一杯?までの引用?
てか引用の要件に価しないですが。
以前の投稿の
読書:昭和16年 夏の敗戦
https://ivva.info/blog/archives/2022/0813215037.html
の動画引用を書籍の引用として引っ張り出すと引用の概念ってどうなんの?
宮台真司×堀江貴文の対談にもあるが日本は法律や制度が変わっても何も変わらない。
民主主義は民衆の民度による。ブレグジットやトランプ大統領で今も証明されている。
じゃあどうするのか?民主主義のアップデート、実装方法についてまで触れてます。
第1回目(全4編)
全4編のプレイリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLyBP6wZCgvqtwzMR7I1kdyLdH3EznRHQ0
テキストのみの要件か。
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今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「私は新聞も読まないしテレビもほとんど見ないが、政治(家)や選挙に関するニュースがたまたま目に入るたび、自分がまた一歩つまらなく古臭い人間になった気がしてしまう。ひょんなことから毎週エラい政治家と話す機会があるが、いつも辛い。動物園で珍しい動物を観察したくらいのノリでそっと退散してしまいたい。 そのことが、しかし、この本を書くきっかけになった。 私が、そして多くの人々も興味を持てないはずのバケモノが、社会の行く末を、そして生活のなりゆきを握っている。どんな大企業も、いや大企業であればあるほど、政府の規制や方針にビクビクして忖度している。大学も学校も、政府からの補助金がいつカットされるかと震え上がって官僚や政治家のケツを舐めるのに必死だ。気づけばシレッと政府に上げられている消費税や社会保険料で、手取り収入もどんどん寂しくなっている。海外旅行が上級国民だけに許される贅沢品になるまであと一歩だ。というか、もうなっているのかもしれない。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「無意識民主主義= エビデンスに基づく目的発見 + エビデンスに基づく政策立案 と言える。こうして、選挙は民意を汲み取るための唯一究極の方法ではなく、エビデンスに基づく目的発見で用いられる数あるデータ源の一つに格下げされる。 民主主義は人間が手動で投票所に赴いて意識的に実行するものではなく、自動で無意識的に実行されるものになっていく。人間はふだんはラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズいときに介入して拒否することが人間の主な役割になる。人間政治家は徐々に滅び、市民の熱狂や怒りを受けとめるマスコットとしての政治家の役割はネコやゴキブリ、デジタル仮想人に置き換えられていく。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「21世紀後半、資産家たちは海上・海底・上空・宇宙・メタバースなどに消え、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は、情弱な貧者の国のみに残る、懐かしく微笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。私たちが憫笑する田舎町の寄り合いのように。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命・ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の大本命だろう。 だが、逃走はどこまでいっても逃走でしかない。民主主義に絶望して選民たちの楽園に逃げ出す資産家たちは、民主主義に内在する問題を解決しはしないからだ。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「では、重症の民主主義が再生するために何が必要なのだろうか? 三つの処方箋が考えられる。民主主義との闘争、民主主義からの逃走、そしてまだ見ぬ民主主義の構想だ。 闘争は、民主主義と愚直に向き合い、調整や改良によって呪いを解こうとする生真面目な営みだ。政治家の注意を目の前の内向き世論だけでなく長い目で見た成果へと振り向けるため、たとえばGDPや平等・幸福度などの成果指標に紐づけた政治家への再選保証や成果報酬を導入するのはどうだろう。 政治家の直面するインセンティブを改造する「ガバメント・ガバナンス(政府の統治)」案に加え、選挙制度の再デザインの提案も数多い。オンライン投票やアプリ投票はもちろん、世代間格差を乗り越えるための政治家や有権者への任期や定年。「世代別選挙区」や各投票者があとどれくらい長く生きそうかで票を重みづける「余命投票」の導入も考えられる。 若者に限らず無視されがちなマイノリティ・少数派の声を汲み取る企てもある。政治家の男女別定数や、政党や政治家ではなく政策論点ごとに投票を行って自分にとって大事な論点に多くの票を割りふることを許す液体民主主義などだ。 とはいえ、実現可能性は心許ない。既存の選挙で勝って地位を築いた現職政治家がこうした選挙制度改革を行いたくなるだろうか? 無理そうなのは明らかだ。 そう考えると、民主主義との闘争ははじめから詰んでいるかもしれない。だとしたら、いっそ闘争は諦め、民主主義から逃走してしまうのはどうだろう?」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「この要約だけでは情報の密度が高すぎ、論理の展開が速すぎ、根拠がよくわからない断言が多すぎる。読者は置いてけぼりで「……?」という感じかもしれない。根拠や背景、詳細を与えるのが本体の役割になる。 ということで、この要約をできれば二回読んでほしい。一回は今すぐ本体を読む前、もう一回は本体を読んだ後だ。そうすることで、この本が何を主張しているのか、前からそして後ろからより立体的につかんでいただけるはずだ。さあ、はじめてみよう。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「要約 ほとんどの読者には馴染みがないだろうけれど、学術論文にはだいたい要約・要旨(abstract)と呼ばれるものが付いてくる。「要は何を主張したり発見したり証明したりした論文なのか」を短くまとめたもの、つまりアンチョコやカンニングペーパーである。 この要約が好きだ。忙しい読者はそこだけ読めば要はどんな話なのかざっくりわかる。それをネタに飲み会やカフェでおしゃべりし、著者をディスることもできる。ということで、この本にもはじめに要約を付けてみたい。 とはいえ、要約はしょせん要約でしかない。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「手のひらの上でいかに華麗に舞って、いかに考え抜いて選挙に行って、「#投票に行こう」とSNSに投稿したところで、今の選挙の仕組みで若者が超マイノリティである以上、結果は変わらない。ただの心のガス抜きだ。それを言ってはいけないと言われるけれど、事実なのでしょうがない。 これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「もっと言えば、今の日本の政治や社会は、若者の政治参加や選挙に行くといった生ぬるい行動で変わるような、そんな甘っちょろい状況にない。数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すのは錆びついて沈みゆく昭和の豪華客船を水中から引き揚げるような大事業だ。 具体的には、若者しか投票・立候補できない選挙区を作り出すとか、若者が反乱を起こして一定以上の年齢の人から(被)選挙権を奪い取るといった革命である。あるいは、この国を諦めた若者が新しい独立国を建設する。そんな出来損ないの小説のような稲妻が炸裂しないと、日本の政治や社会を覆う雲が晴れることはない*5。 私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか? そればかり考えがちだという癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。「若者よ選挙に行こう」といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、ということに気づかなければならない。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「分厚いねずみ色の雲が日本を覆っている。停滞と衰退の積乱雲だ。どうすれば打開できるのか? 政治だろう。どうすれば政治を変えられるのか? 選挙だろう。若者が選挙に行って世代交代を促し、政治の目を未来へと差し向けさせよう。選挙のたびにそんな話を聞く。 だが、断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。今の日本人の平均年齢は48歳くらいで、30歳未満の人口は全体の26%*1。全有権者に占める30歳未満の有権者の割合は13・1%。21年の衆議院選挙における全投票者に占める30歳未満の投票者の割合にいたっては8・6%でしかない*2。若者は超超マイノリティである。若者の投票率が上がって60~70代と同じくらい選挙に行くようになっても、今は超超マイノリティの若者が超マイノリティになるだけ。選挙で負けるマイノリティであることは変わらない。」(『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書)』(成田 悠輔 著)より)
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